こんにちは!前原さとみです。
私は現在、
・ジェルネイル商品「WIZ GEL」の開発・販売
・オンラインネイルスクール主宰
・セミナー講師
・サロン運営サポート
・WIZ GELインストラクターの育成・ティーアップ
などの活動を行なっています。
インスタグラムは、ありがたいことに1万7千人の方がフォローしてくださっており、
「15秒で圧倒的な技術と学びを」 をコンセプトに、
WIZ GELを使用した 技術動画・情報などを発信しています。

20代はコンテストに出場しまくっていて、
ネイルエキスポプロ部門ネイルケアチャンピオン
ネイルオリンピックプロ部門フレンチスカルプ2位
IBSラスベガス ノービス部門フレンチスカルプチャンピオン
など、沢山の賞をいただく事ができました。



生徒さんやフォロワーさん、近しい人からは
「さとみん先生」と呼んでいただいてますが、
私自身は「先生」なんて呼ばれるほど立派な人間ではなく。。。
・高校は3ヶ月で中退
・ネイリスト検定1級に4〜5回不合格(正確な回数は覚えてない)
・失恋がキッカケで一念発起し上京
・サロンワークでは毎月クレームを出す「クレーム女王」
・技術ばかり追いかけて、「技術馬鹿」と呼ばれたことも
・サロンの店長に就任したら、半年でスタッフが全員離職
・講師を委託されていたスクールは、運営と喧嘩して契約解消
など、まあまあ面白い人生を送ってきたかもしれません。
(少なくとも、順風満帆ではない)

20代の頃は、この我の強さで本当に会社組織というものに馴染めず、
右を向けと言われれば左を向く。
前を向けと言われれば後ろを向く。
そんな非常に厄介な人間だったなと、今となっては思います。
あの時私に関わっていた全方位の皆様には、本当に申し訳ないことをしてきました。
トゲトゲしい物言いと、正論を振りかざして相手を黙らせる
というやり方で、敵しか作ってこなかったなと。
今振り返ると、ネイリストになってから
ストイックな女性ばかりに囲まれてきた環境で育ったので、
強くいなければ、自分を保てなかったんですよね。。。
自分のアイデンティティを守る手段の一つだったのかもしれません。
でも20代で良くも悪くも、普通に生きていれば経験できないであろう、たくさんの経験をさせていただいたのも事実。
離職率100%の鬼店長だった時代があったり、コンテストに夢中だった時代もあり、
その時の仲間たちと切磋琢磨して、積み上げてきた経験値が、今の私を形作っています。


ラスベガスの大会に出場した際には、たくさんの観光スポットに連れて行っていただき、本当にいい経験になりました。
海外のコンテストはとても刺激的で、日本にはない変わった材料や、数年後きっと日本で流行るんだろうなという商材にも沢山出会えました。
20代のうちに行けてよかった場所ぶっちぎり1位です。
ネイルサロン&スクールのオーナーに・・・
そんな私も結婚して、子供が生まれ。
働き方をガラリと変える必要がありました。
独身の頃は、朝から夜遅くまで講師の仕事やサロンワークをするのが
当たり前だったのですが、
なんと、世の中の保育園って18時までしか開いてないんですよね。
22時まで働くのが当たり前の環境だったので、びっくり。
「これじゃあ仕事できないし、全然稼げないじゃん」
これは私自身がネイルサロンの店長をしていたから分かることなのですが、
ネイルサロンにおいて、小さい子供がいるお母さんの雇用は、はっきり言ってとても難しいのです。

サロンの営業時間は21時までなのに、17時までしか働くことができない。
子供が体調不良になったら、予約関係なく欠勤する事になってしまう。
それをフォローするために、フルタイムのスタッフにしわ寄せが来てしまい、不満が溜まってしまう。
私自身が店長時代にとても苦労したので、どんなに経験が豊富でも、認定講師であっても、
この働き方ではどこのサロンでも歓迎されないだろう、と予測はつきました。
だからと言って、今更他業種に転職できるほどの経験もスキルもなく。
私には、ネイリストとして生きる道しか考えられませんでした。
それなら、全部一人で責任を持ち、自由にやろう。
と、ある意味消去法で、独立開業することになったのです。
子供が急に体調不良になったら、頭を下げてお客様に予約変更をお願いすればいい。
営業時間は、保育園のお迎えギリギリまでに設定すればいい。
定休日は作らないで、好きな時に休めばいい。
それくらいで心置きなく働けるのなら、独立もありだな。
と、安易な理由で決意したのは、私が30歳の時。
当時、お客様もゼロ。友人や知り合いもいない土地で、マンションの一室を借りてサロンを開くことを決めました。
それはもう不安しかなく、妊娠・産後期間中に育児本は一切読まず、経営やビジネスの本ばかり読み漁っていました(笑)
でも、初月の売り上げは2万円
当時開業するにあたって、融資は受けませんでした。
(これは本当に良くなかった・・・笑)
あるのは、少しの貯金だけ。
「オープンして絶対に成功させるんだ」という意気込みだけで、なんとか開業資金をかき集めました。(ざっくりですが、物件取得費用を合わせておよそ80万円くらい。)
親から譲り受けたブランドバッグも、コンテストのお祝いに頂いたブランド時計も、開業資金作りのために全部売りました。
ブランド物なんて成功したらいくらでも買える。
そう思って、感謝を込めて手放しました。
そして、なんとかギリギリの状態で、サロン&スクールという形でオープン。

しかし・・・・・
「サロンを開けば、どこからかしらお客様が見つけてくれて、来てくれるだろう。」
という根拠のない自信で、勢いだけでお店を作ったものの。
一番まずい状態でオープンしてしまった、と、オープンしてから気づきました(笑)
オープンした4月の売り上げは、
なんと月間で2万円。
店舗家賃は8万円。大赤字です。
そこからは、必死でした。
アメブロも、1日のアクセスは3。
インスタグラムのフォロワーは、20人。
知人の伝手もないので、当然口コミなんて起きません。
今振り返っても、終わってます(笑)
でも、必死だったんです。
Googleマイビジネスに登録してみたり、
検索結果のトップに来るにはどうすればいいか調べ上げて
アクセス一桁のアメブロを全力で毎日書き、
インスタグラムでハッシュタグを限界量までつけて毎日投稿し、
ホット○ッパーにも掲載をお願いし、
地元のクーポン雑誌にも掲載をお願いし、
ほとんど手付かずだったフェイスブックにも写真を上げたり、
マンションの入り口近くに、手書きの看板を置かせてもらったり。
分からないこと、知らないことを全部ネットで調べながら、
とりあえず全部、全力でやってみました。
毎日「今月の家賃は払えないかも」と震えてました。
でも毎日、調べながら全力でやっているうちに、
2ヶ月目くらいから徐々に、スクールの問い合わせが来るようになって、
サロンの予約が入ってくるようになりました。
気づけば4月に2万円だった売り上げは、
なんと3ヶ月後の7月には100万に届いていました。
(*スクールの成約も含め。)
ありがたいことにお客様が増え、生徒さんも増え、本当に一気に忙しくなりました。
1歳になりたての息子を抱え、週3日スクール、週3〜4日サロンワーク。
保育園は土曜保育もお願いし、日曜日も予約が入ればお受けして、その時間は託児所に預け。
売上を作ることに必死だったとはいえ、よくあれだけ働いたなと今でも思います。
お陰様でサロンのお客様も生徒さんもどんどん増え、
売上は順調に上がっていったのですが、
そんな働き方で長続きするわけもありません(笑)
体力と気力の限界を迎え、
わずか2年半でCLOSEする事になりました。

まぁ今考えると、別に閉鎖する事はなかったかな…と思いますが、
私自身まだ未熟で、自分の仕事をスタッフに任せられるほどの度量がなかったんですよね。
店長時代からそうだったのですが、自分がトッププレイヤーで売上を上げ続ける代わりに、スタッフを育てるマネジメント能力が皆無でした。
自分ができること・やってきたことを、スタッフが出来ないとイライラしてしまうし、
どうしても熱が入ってしまうので、厳しい言葉をそのまま浴びせてしまう。
スクールの先生であれば「厳しめの先生にビシバシやってもらいたい」という生徒さんは割といるので(笑)、ある程度許されるのですが、対スタッフとなると、そうもいかないもの。
それに「他ではなく、さとみ先生に教えてもらいたい・施術してもらいたい」と言ってくださる生徒さんやお客様に、他の講師やスタッフを受け入れてもらうのは、とても時間がかかります。
そして何より、
「また、店長時代のように、スタッフが定着せず、離職を繰り返すのではないか。」
ある種トラウマになっていたのだと思います(元を辿ると全部自分のせいなのですが笑)
だから、少なくともその時は「閉鎖」という道しか選べなかったわけです。
ネイリストとしてやり切った私が、次に目指した道
店舗を閉鎖してからは、しばらくオンラインで生徒さんを教えたり、お世話になった女性起業塾でお声をかけていただいて、講師の仕事をさせていただいたりしました。
起業塾では、女性起業家さん達へSNS発信やビジネスマインドなどを伝え、コンサルティングなども担当させていただいたので、ネイルを教えることとは全く別の新鮮さがありました。
私自身、その時点でもうネイル業界には15年以上いたので、店舗の閉鎖があっても
「ネイリストとしては、もう悔いがないくらいやり切った」
と思っていました。
サロンワーク、コンテスト、店長やスタッフ育成、講師、どの分野も大体経験してきたので、これからの私は、別にネイリストじゃなくてもいいかもな…と。

だけど、この頃から
「自分がやりたいこと」と「求められること」のミスマッチが起きていました。
私はもうネイリスト前原さとみではなく、
全く違う道で食べていくこともありなんじゃないか。
ネイルじゃなくてもいいのではないか。
と思っていたのですが、
SNS上では、まだまだ「ネイリストのさとみ先生」である姿が強く求められていました。
そりゃそうですよね。
私の人生、ネイリストとして積み上げてきた歴史の方が、圧倒的に濃く深いですし
失敗や実績の経験値が違う。
だから、私が全然意識していなくても、発信の言葉に説得力や熱量が自然と宿る。
今でもそう感じることは多々ありますが、私のことを慕ってくださる多くの方は、
私の知識量より、私の積み上げてきた歴史に惹かれてくれていたのです。
悩みに悩んだ結果、
私は、多くの人が求めてくれる「ネイルの先生」であり続けようという選択を取りました。
これが「WIZ GEL」の誕生につながってくるわけです。

そもそもなぜジェルを作ろうと思ったのか?
私自身、商品の開発にものすごく興味があったと言うわけではありません。
でも「ネイリストとしてさまざまな経験をしてきた自分が、まだやった事のないこと」にチャレンジしてみたかった。
まだ知らない世界の、扉を開いてみたかった。
経験した事がないからやってみたい、最初はそんな好奇心でした。
今までオリジナル商品なんて作ったことがなく全く何の伝手もないので、
最初は、ネットで検索してヒットした、ジェルの製造会社に突撃電話をするところからスタート。
「あの、すみません。ジェルネイルの商品を作りたいのですが・・・」
と商材作りにかかる期間や手順、見積もり、製造量の目安などを丁寧に教えていただき、最もスピーディに、誠実に対応してくださった会社様へ製造をお願いすることにしました。
ですが・・・開発の段階では何度も何度も、挫折しそうになりました(笑)

特に、ベースジェルは施術の根幹となる商材で、
操作しやすいテクスチャー、リフトしない密着力、硬化熱、オフ性、、、などを追求し、「長持ちする(浮かない)」ための試行錯誤を長期に渡って繰り返しました。
また出来上がってきたジェルに対して、ジェルに合った付け方やプロセス、長持ちさせる方法や弱点の洗い出し、などを一つ一つ言語化し、開発者として「ネイリストが使いこなせる”付け方”」を見つけなくてはいけませんでした。
商材が優れていたとしても、それを使いこなすネイリストの技術ややり方がうまく噛み合っていないと、ジェルは簡単に浮いてしまうものですからね。
もう一生出来上がらないのではないかと、何度も諦めかけたのも今となってはいい思い出です(笑)
「自分のこだわり」を徹底的に手放して作り上げた商品
WIZ GELのオンラインショップには、「こだわりのジェル」と書いてるのですが、
実は「私個人のこだわり」は一つも反映されていません。
商品作りというのは難しくて、
開発者個人のこだわりを商品に強く反映させてしまうと「市場が求めるものとの乖離」が生まれてきてしまうこともしばしばあります。
「自分自身のこだわりをいかに手放せるか」が、
商品開発者側に回る上で最も大事な考え方かもしれません。
じゃあWIZ GELは「誰の」こだわりを詰め込んだのか?というと、
私の周りで活躍しているネイリストの皆さんです。
講師仲間、生徒さん、フォロワーさん、、、などなど。
できるだけ「私」の要望や意見ではなく、
現場で第一線で活躍しているネイリストさんの声を反映させたかった。
市場に求められるものがどんな商品か?というのを考える上で必要なのは、
ネイル業界や、ネイリスト、ネイルサロンや、そのお客様
を俯瞰して見られる、客観的な目ではないかと思うのです。
どんなにこだわりを持って作っても、それを使う人のことを考えて作った商品でなければ、売れない。
だから現場の意見や声を反映させることは、最優先でした。

ネイリストとお客様は一心同体であり、
お客様が気に入ってサロンに通い続けてくださるからこそ、
ネイリストはその職業で居続ける事ができる。
このようにWIZGELは、ネイリストだけでなく、その先につながるお客様とのご縁を大切にできる商品としてリリースする事にしました。
前原さとみの今後の展望
私が最近目標や夢を聞かれて言うようになったのは
「自分の事業で天下を獲りたい」ということ。

ものすごく抽象的で、ちょっと怖い(笑)と思うかもしれませんが。
コンテストで「日本一」になった時、
私は自分で「日本一」って言われても全然ピンとこなくて、
「こんな私が獲っちゃった。どーしよう。」というのが正直な感想でした。
私がずっと目指して、獲りたいと思っていた「日本一」という称号もそうなのですが
目標って、達成したその瞬間から、過去のものになるんです。
あんなに執着して、欲しいと思っていた大きなトロフィーをいただくことができて、とても嬉しい反面、次に何を目指せばいいのか分からなくなってしまいました。
目標に執着しすぎた結果、達成した後のことを全く考えていなかったんです。

このような自分自身の経験から、目標そのものに執着するのではなく、
目標を達成する過程をも楽しめる自分でありたい。と思ったのです。
そんな経験したからこそ、ある意味抽象的で、定義が曖昧な
「天下を獲る」という言葉を選びました。
「天下を獲る」の具体的な定義は、
WIZGELの年間総売上、導入店舗数、ユーザー数、購入リピート率、とか、
別に何でもいいんです。
達成の定義も曖昧でいいし、一生目標を達成できないとしても、追い続けたい。
そしてもし天下を獲れた日が来たとしても、
その次の日から、天下を獲ったことすら私の人生の通過点の一つになると思います。
そんな風に、目標を追いかけ続ける人生を、最後まで送れたら私はとても幸せです。
長くなりましたが、今後の前原さとみとWIZ GELを、ぜひ応援していただけると嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします^^

2023.1.1 前原さとみ